2019年12月「○○先生からの紹介状と病理検査結果を見ましたが、胃癌ですね」現在のドクターはサラッと事実のみを伝えます。家族が癌告知されることは誰にとっても辛い体験にしかなりません。
それが、妻や子供となれば絶望しかないのかもしれません。癌は今でこそ、早期の発見であれば開腹することなく、完治することも珍しくないのではと思います。しかし、うちの妻の場合は手術できるかどうかも難しいとのことでした…
【私の人生観】人生は自分では決められない
まず私は、基本的に「人の人生は決まっている」と考える人間です。「あの時、こうしとけば良かった…」とは考えません。長い人生の中では時折、重大な決断をしなければならないこともあります。しかし、「あの時、こうしとけば良かった…」とは考えません。その選択すらも決まっていると考える人間です。
なので、妻が胃癌と知っても「何で…」とは思いません。しかし、素直に辛い。本当に辛い…。子供のこと、仕事のこと、自分自身の今後のこと、それは絶望でしかありません。自分の大切な家族が欠けるかもしれないと想うだけでもです。
ここで、本文とはかけ離れた話をさせてください。私は過去に何度もその後に起こるであろうことを、私の頭の中で映像として見てきたことが何度もあります。一般的にはスピリチュアルといった言葉で言われているようですが、例えば、未来に出会うだろう人や場所を今の私が映像としてみることがあります。
夢にも近いこのような映像は、その時の映像のまま現実で起こるので「これは…あの時見たやつだ」とハッキリと認識することができます。ここ最近で最も記憶に残っていることを書いてみようと思います。
私たち夫婦は東京で結婚して15年ほどしたのち、お互いの故郷である九州へ子供の小学校入学を契機にUターンすることを決めましたが、その数年前からある映像を頻繁に見るようになりました。
その映像には、ある飲み屋さんで、私が親しげに話す男性が見えます。その周りは私たちのグループだと思われる4,5人の人たちも見えます。もちろん、この人たちも私はどこの誰なのかもわかりませんが、肌感覚で仲間だとの認識はあるのです。
そのお店の照明、壁に掛かっている絵、メンバーの顔ぶれが静止画となって、またその場の匂いも映像として見て記憶しています。
そして、九州へ戻ってきてから約2年後に、この映像と全く同じシーンに私は出会うことになります。この映像に登場した人たちは、私が九州へ戻ってから知り合った人たちですが、知り合った当時はあの時の映像の人たちとは当然ですけどわかりません。
しかし、ある年の忘年会の二次会で寄った飲み屋さんで、あの映像の静止画と同じ構図を目にした時に、鮮明にあの映像を思い出すことになります。もちろん私自身もビックリしているので、思わず目の前の男性の名前を叫んでしまうほどですので、みんなにもビックリされます。
私たち夫婦は2人で美容室を営んでいますが、現在のお店を作る時も先ほどの話と同じように、過去にその店らしき映像でみていたので、その時に見た映像の店名にしたほどです。
もちろん、これら一連の映像はもしかするとただの夢なのかもしれません。しかし、私は信じています。そこには、「人の人生は決まっている」との根本的な考えを持っているからなのかもしれません。
だから、うちの妻も「胃癌になってしまった」ではなく、「胃癌になるようになっていたんだ」と思ってしまうのです。
母が教えてくれたようになっている
2019年12月、紹介先の大きな病院での最初の診察の時、診察した内科医からは「手術は難しいと思います」と言われました。もう私たちは絶望しかありませんでした。もちろん、決定したことではないのですが、凄まじい絶望感に包まれて帰宅したのを覚えています。
2020年1月14日にCT、PET、胃カメラ、大腸カメラ、バリウムの一通りの検査のために妻は入院することになりました。そんなある日の夕方、私は自宅2階の自室のベランダに腰掛け夕日を眺めていました。
いろんな事が駆け巡り、自然と涙が流れるのを止めることができません。誰かが、そんな私の隣に腰掛けてきました。顔を向けると、そこには亡くなった私の母が座っています。母はニッコリ笑って私の頭を撫でたのです。ニッコリと笑って…。
妻が退院する2020年1月16日、検査結果と今後の治療方針の話し合いのために病院へ向かいました。案内された部屋には最初に診察した先生ではなく、2人の内科医が待っていました。ドクターはそれぞれ名前を名乗った後に、こんなことを言いました。
「手術できます。外科にあげました。頑張って治療しましょう。外科の先生とも話しましたが、4分の1でも5分の1でも胃を残せるように頑張ります。夕方4時に外科の小林先生の予約を取っていますから診察を受けてください」
あの時は本当に嬉しかった。何も治療ができなければ1年以内かもしれないと思っていた私にあの言葉は本当に嬉しかった。その日の夕方、外科の小林先生は妻に今後の予定を尋ねました。
2番目の子供の高校の卒業式と大学の入学式、3番目の子供の富山で行われるハンドボールの全国大会には絶対に行きたいと伝えると、小林先生は2月3日に手術することに決めました。
すると先生は最後に「検査結果では転移が確認できませんが、検査ではわからないことがあります。腹膜への転移は私が目で見なければ確認できません。腹膜の転移があれば切りません。この腹膜の確認は2時間ほどかかります。なので、2時間程度で出てきた場合はそういうことだと覚悟をしてください」
結果、妻は胃を全て失いましたが手術することができました。小林先生からは「残すことができませんでした。申し訳ありません」さらに、「残念ですが悪い方に転んでしまいました。抗がん剤をすぐに始めてもらいます。ステージが上がってしまいました」
小林先生曰く、実際に開腹してみると検査結果よりも悪い状態の場合がほとんどなのだそうですが、妻の場合も悪い方に転んだみたいです。妻の体の中の癌はすべて取り除いたようですが、癌の種がいるかもしれないということでした。
抗がん剤治療は体力的に辛くなるらしく、妻が予定していた子供の行事はすべてキャンセルしなければならなくなる可能性が高くなりました。そんな時、世間的にはコロナの影響が大きくなっていきました。
妻が予定していた行事の卒業式以外は、すべてが中止に追い込まれることになります。しかし、我が家にとっては治療に専念できる環境になったのは間違いありません。妻のことなので無理をしても参加するだろうと思っていたので…
人生は誰にも分からないから素晴らしいのだと思います。彼女の人生がどんなものなのかは私にはわかりません。しかし、私は信じています。ニッコリと笑って私の頭を撫でた母の姿を…。
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