1月23日 外科診察
1月23日 外科の先生の診察日でした。
この日も父と夫と病院まで行きました。この日は夫も仕事でしたが仕事を休んで病院へ付いてきてくれました。
外科の先生と初対面。若そうな先生でしたが40歳ということでした。診察ではこれまでやってきた検査の信頼度は50パーセントだといわれました。あれだけ高額な検査料を払ったのにと思いましたが、外科の先生曰く、実際にお腹を開けてみないと本当のところはわからないと。
検査結果を見る限り、転移は認められないけどリンパに転移の怪しい影が見えるとのこと。腹膜播種はこれまでの検査では分からず、お腹を開けてみないことにはと、言われました。
私「がんは目視したらわかるものなのですか?」
先生「実際に見るとすぐにわかります」
先生「腫瘍は幽門部(胃の出口部分)にあるので、なるべく全摘じゃなく残せるところは残したいと考えています。少しでも残せたら術後の食事のとり方がずいぶん楽で、栄養補給するにもいいです。」
先生「ただし、腹膜や他の臓器に転移が認められた場合は、胃の摘出はせずにそのまま閉じます。まずは腹腔鏡手術で転移がないことを確認して開腹手術に移ります。」
ここまでの話を聞いて怖い半分、私は手術で胃を摘出する手術が出来るだろうと簡単に考えてました。手術して悪い所を取れば元気になれると。
実際、仕事に家事、育児に疲れ果てていたので手術はするものの 私にとっては休息の時間が出来ることに喜びさえ感じていました。これまで、盲腸と卵巣嚢腫の手術を経験して術後の痛みなどはほとんどなく快適な入院生活を送ってきたからでしょうね。
手術日決定
先生「手術は1月28日に予定してます。」
そこで、私はあまりの速さにビックリすると同時に、来週の予定がびっしりあることに戸惑いを感じました。
この2日前は子供の全国大会を賭けた県予選を控えていました。これまでの戦績を見ると優勝して全国大会出場が見えていました。部の副部長もやっていたので、全国大会出場が決まったらすぐに保護者会や全国大会出場に関する準備が待ってます。とにかく私がいなくても準備が回るようにしてからでないと手術はできないと思ってました。
さらに、2月1日には次男の部活の保護者さんとの食事会も予定してました。さらに、この日は部の監督さんの家に子供たちはお泊りすることになっていてその準備も私がすることになっていました。
1月28日に手術となると他の人に頼まなくてはいけなくなり、食事会にも行けなくなります。
胃がんとわかった瞬間、私はこの事実を誰にも知られたくないと思い、自分が胃がんになったことにすごく辱しめを感じていました。主人は28日に手術をしたら?といいましたが、それでは、誰かに胃がんで手術することを打ち明けなければならないからそれだけは回避したい思いでいっぱいでした。
私「先生、私は2月1日まで入院はできません。2月2日からは入院できます。1週間手術を延期するにあたって私の命に影響はありますか?」
先生「それはありません。1週間くらいなら。では、2月2日に入院して2月3日に手術にしましょう」
これで一安心。誰にも知られず手術を受けられることに安堵しました。(しかし、1週間後に2人のお友達にはどうしても内緒で入院することができず話してしまいましたが、誰にも言わないでとお願いしました。)
麻酔科の先生の説明
外科の先生の診察が終わり、麻酔科の先生のところへ。手術前の打ち合わせです。
麻酔科の先生の話は
「手術時間が長引きくことはよくあることで心配しないでください。逆に早く終わる方があまりよくないです。」
とのこと。さらに、
「全身麻酔なので呼吸が止まります。すぐに呼吸器で対応します。」
始めて聞く話にビックリ!全身麻酔は呼吸が止まるなんて ちょっと怖くなりました。その後、口の中の状況確認と顎がどこまで上がるか確認され麻酔科の先生とのお話は終わりました。
診察と診察の間に待ち時間があったのですが、昼食を食べたり、コーヒーを飲んだりしながら時間を潰していましたが、父は待っている時間にうたた寝をしてコーヒーをこぼしたり、駐車場まで歩くのに時間がかかるので車を病院の玄関まで回してもらったり、主人が
「どっちが病人なのか わからん!」と一言。私も手術日まではとっても元気でした。
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