胃がんの抗がん剤治療 14回目 その後
2021年1月28日 TS-1抗がん剤 14クール目を開始してから1週間後、私の体調は悪化していきました。点滴治療が終わり、少しづつ体調は回復しているのかと思いきや 動けなくなる日があったりで 救急車で病院へ運ばれ入院することになったのでした。
2021年2月5日 動けなくなる
前日の夜から38.8度の発熱。この日も朝から体調が悪く一日寝たきりで過ごしてました。
そして、翌5日の朝には37.1度まで熱は下がっていたものの起き上がることもできず寝たきり。夜になって病院へ連れて行ってもらいました。
血液検査では炎症反応は確認されず、しかし、肝臓の数値があまり良くなく脱水症状もありで点滴を受けました。
好中球も700と低い数値だったので抗がん剤治療を継続するか、中断するか、翌日に主治医と相談するように言われました。
点滴を受けて少し回復し夜中に自宅へ帰ってきました。
翌朝、主治医と相談し、抗がん剤治療は中断するように言われ、14クール目は1週間で終了しました。
抗がん剤治療の終盤を迎えてますが、体力も限界ぎりぎりにきているようです。確かに、抗がん剤治療開始当時は体重も49キロほどあったのに 今は40キロ弱。
今の体重に抗がん剤の量が多すぎ?次回は抗がん剤の減量をお願いしてみようかなと思いました。
2021年2月15日 入院
抗がん剤のお薬を中断し、休薬期間を過ごしていましたが、朝から腹痛に襲われました。2〜3時間経っても痛みは治らず 主人は出掛けていません。お昼前に痛みが引いたのか そのまま寝てしまってました。
お昼過ぎに一旦帰ってきた主人が病院に行こうか?と言ってくれましたが、全く動きたくなく行かずに寝ていました。そのまま夜まで。。。飲まず食わず。。。
夜になり主人も帰ってきましたが、私に声をかけることもなく寝室に入って寝ようとしていました。このまま朝まで私は放置されると思ったので 病院に連れて行ってもらうようにお願いしました。
が、全く動けなくなった私を主人一人で抱えて車に乗せることができないと判断し 急遽 救急車を呼ぶことにしました。
人生初の救急車となりました。
病院に到着し たくさんの検査を受けました。(ほとんど覚えていない)
看護師さんから「目を開けて!」と、言われますが、目を開けたくないし開かない。抗がん剤の影響で涙目が酷く、涙というより黄色い膿のようなもので瞼は固まって開けることができませんでした。
おしぼりで目やにを綺麗に拭き取ってもらいやっと目を開けることができました。すると、意識もしっかりとしてきて話もできるようになってきました。
病院の先生もこのまま入院してもいいということで、私もとにかく動きたくない!このまま入院させてもらうことにしました。
深夜の入院で同室の方には大変ご迷惑をお掛けしたと思います。しかし、挨拶をする機会もなく朝にはお部屋移動となりました。
2021年2月16日 入院2日目
朝から主治医の回診
先生「きつかったですね。もう抗がん剤治療はやめにしましょうか」
私「やめても大丈夫ですか?」
先生「それは分かりません」
私「できれば最後まで続けたいです」
先生「とりあえず、明後日からの治療は中止しましょう」
予定では2月18日から15クール目の抗がん剤治療でした。さすがに体力消耗して入院しているので治療を開始することはできません。
入院中にしっかりと食事を取れるように食べれることを頑張りました。
入院中の食事は食べたいものや食べやすいものを聞き入れてもらい ご飯はお粥で量を少なめ、毎食果物をつけてもらえるようにしました。
時間の経過とともに私も元気に食欲も出てきて一人でトイレも行けるようになりました。(入院してしばらくはトイレも看護師さんと一緒でなければ行けません)
2021年2月18日 退院
3泊4日の入院生活
この3日間で体力も回復し、食事も取れるようになりました。
退院当日は雪が積もり主治医の先生は朝の回診の時間までに出勤できず 挨拶もしないままに退院しました。
これだけ体力的にも辛い抗がん剤治療ですが、止めたい!と思うことはありません。これが良かったのかどうかは分かりませんが、術後2年を経った今も元気に過ごしています。
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